10 哥儿/坊っちゃん
夏目漱石
【作品梗概】
主人公的绰号叫“哥儿”,生性鲁莽,遇事总吃亏。双亲看到他头疼,哥哥与他的关系也不融洽,唯有女佣人阿清特别疼爱他,称赞他有“耿直的好气质”。父母去世后,他离开哥哥去物理学校学习。毕业后,又告别了阿清,去四国的一所中学任教。他给这所中学的教师起了绰号:校长—狐狸、副校长—红衬衫、数学教师堀田—豪猪、绘画教师吉川—帮闲、英语教师古贺—夹生瓜等。在这所乡村中学,主人公的一举一动都成了学生注意的目标,并在黑板上写上“油炸面拖”“圆子”先生等恶作剧的词句。在教职工中,为人正直的“豪猪”和专搞阴谋诡计的“红衬衫”水火不容。刚刚工作涉世不深的单纯的主人公一开始不了解情况,轻信了“红衬衫”的谗言,误把“豪猪”当成坏人,两人差点儿绝交,后来发现“夹生瓜”在“红衬衫”的阴谋下调离学校一事,才发现了“豪猪”刚正不阿、热情助人的品格。他拒绝了“红衬衫”给他加工资的引诱,和“豪猪”成了好朋友。在一次战争祝捷会上,两人卷入了该校学生与师范学校学生的争斗,在“红衬衫”的授意下,次日报纸上竟说是“豪猪”和主人公策划的。校长因此迫使“豪猪”辞职。其实,像主人公和“豪猪”这样正直的人在这所学校是待不下去的。最后,主人公和“豪猪”截住去妓院狎妓的“红衬衫”和“帮闲”,狠揍了他们一顿,然后愤然寄出辞职信,回东京去了。以后,他和阿清住在一起,令阿清十分高兴,她临终前说,今后希望能同“哥儿”埋在同一个寺庙之中。
【作品鉴赏】
中篇小说《哥儿》是日本近代文学作品中影响很大、读者众多的一部小说,发表在1906年4月的《杜鹃》杂志上。当时,这家杂志上正在连载作者的另一部长篇小说《我是猫》,据说,作者当时正患神经衰弱,心情郁闷,面对严酷的生活现实,作者是怀着抨击社会以泄心头之愤的心情将这部杰作一气呵成的。
作品中塑造了一个鲁莽、不够机灵、经常把事情弄糟却又十分正直、纯粹、可爱的青年形象,他信奉“为人正直”的处世原则,还带着一点大城市东京人的自傲。但是,社会上又偏偏有许多一切以个人利益为重、处处斤斤计较、损人利己的“聪明人”,所以他屡遭失败。作者用夸张的手法,深刻地揭露了当时靠正直寸步难行的社会现实。由于“红衬衫”的阴谋,“哥儿”最终还是失败了,但这些生活在黑暗年代的小人物却使那些阴谋家感到惶恐,尤其是最后狠揍“红衬衫”和用鸡蛋砸“帮闲”鼻子的情节使读者非常解恨、痛快。在这里,作者满腔热忱地赞扬和肯定了诚实、直爽的品格,使读者从疾恶如仇、有义侠式正义感的主人公身上受到鼓舞,进而对大千世界中的美与丑,对人生、人格等问题发起深思,因此,这部作品的寓意是深刻的。虽然也有人认为小说把“好人”和“坏人”分得太清,而且把四国一带的学生写成愚不可及的淘气鬼,因而使作品缺乏深度,但是,大多数人的感觉是,主人公身上反映的质朴和正义感能使少年读者树立人生的理想,能使成年读者追怀逝去的青春、摆脱人生的郁闷感到痛快,可以说这是本作品拥有大量读者的原因。另外,作品中关于主人公和阿清关系的描写也很成功,这两个带着旧时代主仆关系的人物之间充满着纯洁素朴的感情,读起来令人感到清新。本作品结构严谨、生动有趣,寓教益于诙谐幽默之中。主人公的东京话与四国地区方言并存,对人物个性起到了烘托作用,很有特色。井上百合子评价这部作品:“真可以说是一部描写日本人的日本式的小说。”
选文一[1]
親譲りの無鉄砲[2]で小供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい[3]。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指が手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。
【选文注释】
[1]本段引自《哥儿》“一”开头,作者通过跳楼和削指两件事,把主人公耿直、犟憨的形象活脱脱地表现出来,笔法极其简练、生动,给人留有深刻的印象。
[2]親譲りの無鉄砲:天生做事鲁莽、不考虑后果的人。
[3]弱虫やーい:胆小鬼!
选文二[4]
おれが玉子をたたきつけているうち、山嵐と赤シャツはまだ談判最中である。
「芸者をつれて僕が宿屋へ泊ったと云う証拠がありますか」
「宵に貴様のなじみの芸者が角屋へはいったのを見て云う事だ。胡魔化せるものか」
「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊ったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが[5]、僕の知った事ではない」
「だまれ」と山嵐は拳骨を食わらした。赤シャツはよろよろしたが、「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」
「無法で沢山だ[6]」とまたぽかりと撲ぐる。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。仕舞いには二人とも杉の根方にうずくまって動けないのか、眼がちらちらするのか逃げようともしない。
「もう沢山か、沢山でなけりゃ、まだ撲ってやる」とぽかんぽかんと両人でなぐったら「もう沢山だ」と云った。野だに「貴様も沢山か」と聞いたら「無論沢山だ」と答えた。
「貴様等は奸物だから、こうやって天誅を加えるんだ。これに懲りて以来つつしむがいい。いくら言葉巧みに弁解が立っても正義は許さんぞ」と山嵐が云ったら両人共だまっていた。ことによると口をきくのが退儀なのかも知れない。
【选文注释】
[4]本段引自《哥儿》“十一”的结尾部分,是“豪猪”和主人公狠揍“红衬衫”和“帮闲”的场面。“豪猪”和主人公发现他俩嫖妓,便进行质问,道貌岸然的“红衬衫”百般抵赖,直到挨了揍以后才老实。这一令人解气的场面鲜明地表现了“豪猪”和主人公的凛然正气和“红衬衫”他们猥陋、可鄙的形象。
[5]…が…が:是惯用型,意为“也好……也好……”。通常上接“う、よう、まい”。
[6]沢山だ:形容动词,意为“足够”“太多”。
【作者简介】
夏目漱石(1867—1916)原名夏目金之助。日本近代文学的巨匠。1893年毕业于东京大学英文科。在旧制第一高等学校受到同学正冈子规的影响,一边担任英语教学工作,一边从事英国文学研究,后来又先后执教于松山中学和熊本五高。1900年去英国留学,回国后任旧制第一高等学校和东京大学讲师。1905年1月发表了《我是猫》第一章,颇受好评,以后又接连发表许多优秀的短篇。(作者介绍请参看《心》《明暗》)